雑誌の雑記001


2019年の6月、私の部屋はそろそろ限界が近づいていた。本や雑誌の置場所がないのだ。

もともと5畳程度の広さで机と椅子以外は殆ど本棚。棚が置けないような隙間には既に書籍やマンガが床から背の高さくらいに重なり、その本の塔は既に何列かできて少ないスペースを占領し、内容別に秩序だてて並べるなんて過去の夢、物理的に床に直置きすることも苦しい。


でも捨てなくて良かった!古い雑誌は楽しい。

手元にある雑誌「エスクァイア1993年12月号、二十世紀売ります」、この頃のエスクァイアはまさに読み物。この号では著名な作家たちが20世紀の思い出や忘れがたいエピソードをエッセイ仕立てで、いやほぼ空想として寄稿している。


ピート・ハミルは1944年8月25日パリの解放を。

萩尾望都はタイムマシンが使えるなら1912年二ジンスキー「牧神の午後」を見たい、と。

中島らもは1900年の中国、義和団事件を取り上げるも、阿片窟に入り浸りなんて。

森毅小林恭二、先生たちは100年前、20世紀初頭のパリを。

久世光彦、昭和の演出家は226事件を。

コリン・ウィルソンはロシアの怪僧ラスプーチンのことを。

篠山紀信が1992年にイタリアで撮影した画家バルテュスの娘の写真が掲載されている。

他にも作家、教授、俳優、有名雑誌の編集長など多数が興味深いエッセイを書かれています。


こうして振り返ると、今からすればかなり贅沢な雑誌ではないか?

それから現在の同種の雑誌に比べ、この当時の方が遙かにグローバルで知的で楽しくて濃い。

男性ファッション誌でありながら、内容はカルチャーテキスト。今では絶滅寸前のコンセプトなのだろうか。それとも著作権、契約、経済的理由で困難になったのだろうか?


時代によってコンセプトやニーズが刻々と変化して当然なのですが、相変わらず経済誌、ファッション誌は健在で発展しても「知的ダンディズム」はいつの間にか死語となり廃れ、個人的には寂しい限りです。


現在も雑誌エスクァイアはリニューアル刊行されていますが、私が愛読していた上記の頃とは内容が異なり、仕方ないことではあるものの、残念です。